平安時代と京都

平安時代の京都はどのような雰囲気だったのでしょうか。そもそも京都が長らく日本の都として栄えたのは平安時代に公家が京都に住み始めてからです。かつての日本の都はそれまで奈良でした。いわゆる平城京ですね。しかし、794年に平安京、つまりは今の京都に遷都されてから、今日の京都の基盤が築かれていったのです。平安時代は公家が納める時代でした。ですので、京都は娯楽の中心地といった趣がとても強く、とても平和な時代でもありました。京都に住む公家が全国の武士を統括し、土地で収穫されるお米などを上納させる…それが平安時代の経済システムでしたので、公家にとってはまさに全盛期と言える時代だったでしょうね。もちろん、そうした風潮に嫌気を指した人間が反乱を起こすという事もありましたが、それはほとんどが政治権力のぶつかり合いでした。なぜなら、まだまだ「武士」という存在はとても軽んじられていました。当時の武士はまだまだ公家の下に付く、言うなればボディーガード、兵隊のようなものでしたので、武士が何か出来るような立場ではなかったという点もあります。一方でそうした武士の立場を変えるべく、反乱が起きる事もありましたが、それでも基本的にそうした反乱というのはすぐに鎮圧されてしまうものでしたので、平安時代はおよそ400年も続く事になったのです。最後は武士によって終止符を打たれてしまう平安時代ですが、それでもその間は平和…というと御幣があるかもしれませんが、公家と呼ばれる人間にとってはこの上ない極楽だったのではないでしょうか。その当時に出来たもので有名なものと言えば平等院鳳凰堂でしょうね。京都府宇治市にある、この豪勢なお寺は平安時代に建立されたものです。源氏物語などの舞台となっている平等院ですが、当初はただの別荘でした。それが持ち主が変わる度に豪勢なものとなり、平等院鳳凰堂が建立されたのです。その姿はとても素晴らしいものがあります。それは、「極楽浄土を出現させる」という、一見ばかげた話を真に実現しようとしたためです。ですから、とても豪勢なものとなっているのです。しかも、平等院の素晴らしいところは、建物の壮麗さも去ることながら、京都というのは時代時代の節目で必ず戦火に巻き込まれたものです。平安時代が終わる際にもこの地では戦火が巻き起こっていますし、応仁の乱、更には戦国時代など、様々な争いが行われたのです。
しかし、平等院鳳凰堂は、そうした戦火から免れているのです。ですので、鳳凰堂は当時のものが現存しているのです。だからこそ、世界遺産にも登録されているのでしょう。その作りというのは1000年近い歴史を誇るのですが、多くの人が感動を覚えているのではないでしょうか。平等院鳳凰堂に見られるように、基本的には公家が時代の主役でしたから、力による争いではなく、政治闘争が多かったのです。そのため、京都の街は比較的平和で、戦乱の無い地域だったのです。しかし、平安時代も後期になると、武士が存在感を増して行きます。そこで各地で様々な争いが起きるようになるのですが、それでも京都は神聖な場所という意識がありましたし、何よりまだまだ武士の地位はそこまで高いものではありませんでしたので、京都は戦火を免れているのです。ですから、平安時代の終幕は、京都以外の場所で行われているのですね。これは、やはりまだまだ武士が京都という場所に遠慮があったからと言えるのではないでしょうか。京都は都です。そしてそこにいは公家や天皇といった実力者が住んでいたのですから、そこで争いでも起こそうものなら、末代まで祟られる…本気でそう信じられていた時代でしたので、京都での失礼は控えられたのかもしれませんね。それでも宇治川では実際に戦いが繰り広げられたりもしたのですが、平安時代の京都はその時代の名前通り、比較的平安だったのです。しかしそれは、これからの時代が激動過ぎるがためにそう思えるものなのかもしれません。それでも、京都が中心に選ばれる事で平安時代は幕を開けたのですから、平安時代を語る際、京都に触れないわけにはいかないものなのです。
また、京都御所も平安時代からのものです。京都御所は今ではとても静かな雰囲気の流れる場所ですが、明治時代に天皇が江戸に移るまで、この地に住んでいましたので、戦火を免れた…免れたというよりも、この地で争いを起こすなど言語道断だったのです。当時の天皇は絶対権威でしたので、刃向かったりする事など考えられる事ではなかったのです。ですので、京都御所は今も尚、当時の姿のままでいられる事が可能と言えるのかもしれません。江戸幕末、唯一争いが起きていますが、そのときの弾痕が今でも残されているのも、それ以外には争いが無かったからとも言えるのではないでしょうか。平安時代の京都は、それだけ平穏だったという事が言える場所だったのです。

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